靴を脱いでくつろぎ、胡坐をかいて仕事をするオランダ人
−17世紀オランダ風俗画を見て、親しみを感じたぞ！！−

僕は欧米人が一日中靴を履き、家の中でも土足で生活していることを、どうも理解できなかった。窮屈だし、家は汚れるし、それでも平気だなんて、この人たちとは、どうも理解しあえないところがあると思っていた。

ところが、１７世紀オランダ風俗画に、靴を脱いでくつろぎ、座布団の上に胡坐をかいて座り、仕事をする絵を見て、おや、少なくとも当時のオランダ人にはこんな習慣もあったのだと再認識して親しみを感じてしまった。

そのオランダ風俗画に出会ったのは、２０１９年春に大阪市立美術館で開かれたフェルメール展である。同展は６章構成で第１章「肖像画」、第２章「神話画と宗教画」、第３章「風景画」、第４章「静物画」、第五章「風俗画」、第６章「フェルメール」となっていた。僕はフェルメールが大好きだが、今回来た６点には、それ程心を動かされなかった。僕がフェルメールを好きになったのは、「牛乳を注ぐ女」を見てからだ。その後「窓辺で手紙を読む女」「デルフトの眺望」「青いターバンの少女」などを知って、いよいよ好きになった。特に「デルフトの眺望」の実物を見たときには、その美しさに感動した。今回は、そのいずれも来ていない。だから、それほど大きな期待を持って行った訳ではなかったが、第５章「風俗画」のコーナーで、２つの絵を見て大いに興味をそそられた。

１点は、ハブリエル・メツーの「手紙を読む女」。もう１点は、クヴィリング・ファン・ブレーケレンガムの「仕立屋の仕事場」だ。

ハブリエル・メソー「手紙を読む女」	クヴィリング・ファン・ブレーケレンガム「仕立屋の仕事場

「手紙を読む女」は、部屋の隅にある台の上で椅子に座って手紙を読む女を描いているが、その足元には靴が脱ぎ棄ててある。僕はそれを見た時、おや、靴を脱いでいる。珍しいな。それにしても、この台は何だろう。靴を脱いでも足が汚れないようにする台なのかな？当時のオランダでは、どの家にもこんな台があったのかな？と疑問に思い、帰宅後調べようと思った。そして、「仕立屋の仕事場」を見て、なんだこれはと、一層ビックリした。部屋の隅の大きなテーブルの上で、３人の職人が座布団を敷き、胡坐をかいて針仕事をしている絵だ。テーブルの傍には椅子も置いてあるから、もちろん椅子に座って仕事も出来るはずなのに、わざわざテーブルの上に座布団を敷いて、胡坐をかいて座る姿に、これにも親しみを覚え、同様の例が他にもあるのか、帰宅後調べてみようと思った。

帰宅後、家にあった2000年開催の「フェルメールとその時代」展図録、図書館から借りた、ツヴェタン・トドロフ著『日常礼賛、フェルメールの時代のオランダ風俗画』（白水社刊）、小林頼子著『フェルメールの世界』（日本放送出版会）、エリカ・ラングミュア著『静物画』（八坂書房）、そしてネット情報等でいろいろ分かった。

まず、部屋の隅の台で、くつろいだり、ちょっとした仕事をする絵はいくつも見つかった。コルネーリス・ビスホップ「リンゴの皮を剥ぐ娘」（アムステルダム国立美術館）、ピーテル・デ・ホーホ「エントランスホールで女に手紙を渡す男」（アムステルダム国立美術館）、ピーテル・デ・ホーホ「針仕事をする女と子ども」（ティッセン・ボルネミサ美術館）等等である。そして、「フェルメールとその時代」展図録の解説で、ダニエル・Ｈ．Ａ．Ｃ．ローキンは、この板の間はタイル張りの床から来る冷えや湿気を防ぐために、暖炉や窓のそばあるいは入口近くに設けられている。この板の間で、主婦は繕いものをしたり、リンゴの皮をむく、子どもにミルクを飲ますなど、軽い雑用を済ませたと言っている。なるほど、そしてそういう場合には、足をリラックスさせるために靴を脱ぐのだ。

リンゴの皮を剥く少女	エントランスホールで女に手紙を渡す男

テーブルの上で靴を脱いで仕事をしている絵は、ブレーケレンカムの絵以外には見つからなかった。しかし、このテーマは人気だったようで、同じ作者で同工異曲の絵を2点見つけた。「フェルメールとその時代」展図録所載のアメリカ個人蔵「仕立屋の仕事場」、エリカ・ラングミュア著『静物画』所載の「仕立屋の仕事場」（所蔵館記載なし）である。いずれも少しずつ細部が変わっている。この時代の画家の工房は客の注文に応じて同じような絵をあちこちに売っていたようだ。テーブルの上に座るのは、椅子に座って足が床に接していると冷えるからだろうか。いずれにせよ、当時のオランダでは一段高くした板の間やテーブルの上で仕事をしたり、寛いだりする風習があったのだ。面白い。では、現代のオランダでも靴を脱ぐ習慣はあるのだろうか。

アメリカ・個人蔵	所蔵館記載なし

そこで、ネットでオランダ暮らしをしている日本人の体験談を調べてみた。その中に、「何度もオランダ人の家に行きましたが、そのお家によって土足OKであったりそうでなかったりします。初めてお家の中に入らせてもらうときには、家主に聞くのがベターです。ちなみに筆者は日本と同じように自宅の玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えますが、その光景はオランダ人には珍しがられます」という記述があった。さらに調べると、北欧のスウェーデンやフィンランド、ノルウェイなどでは、日本と同じように玄関で靴を脱いで家の中に入る習慣があるようだ。僕の想像では、雪国の靴は重く大きく、雪で濡れたり、泥で汚れたりすることも多くて、室内向きではないからだろうか。北欧では靴を脱ぐ。オランダは半々。それより南になると靴のままとなるのだろうか。

僕は青年時代まで、日常生活では下駄で過ごした。しかし、その内下駄の人が少なくなり、下駄屋も無くなって、さすがにほとんど靴の生活になったが、いまだに靴は好きではない。水虫に悩まされ、靴を恨んでいる。そんな訳で、17世紀オランダ人に親近感を覚えてしまったのだ。

さて、僕にこんな興味を抱かせた17世紀オランダ風俗画。それまでは、歴史・神話・宗教上の人物を描いた厳かな絵画が主体だった。ツヴェタン・トドロフによれば、日常生活や風景が描かれることはあっても、それ自体が価値あるものとみなされたからではなく、有名な人物や歴史上の事件の属性として描かれたに過ぎなかった。絵画のジャンルには序列があり、最も高尚な絵画は宗教に関わる様々な場面を描いた絵画であり、その次には有徳の士、あるいはすぐれた英雄的人物の絵だ。その下には、それほど傑出していない人物たちの肖像画、動物たちの絵、最後に風景画と静物画であった。日常生活の絵画は区別さえされなかった。それが17世紀になり、市民階級の台頭とともに序列は崩れ、序列があるという考えそのものが廃れることになるのだ。

そのお蔭で、我々は今、絵画から各時代の日常生活を垣間見ることが出来る。絵にはいろいろな楽しみ方があると思う。今回のフェルメール展では、僕は思わぬ発見を楽しむことが出来た。

さて、次はどんな展覧会に行こうかな。